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新潟の歴史
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新潟県には各地で旧石器時代・縄文時代・弥生時代・古墳時代の遺跡や石器が多数発見されて
古くから日本人が定住していたものと考えられます。
古墳時代の北陸地方は「コシ」と呼ばれ、
新潟県域は大和政権おの政治の北限に位置していました。
645年の「大 化改新」の後「コシ」は「越国」(こしのくに)となりました。
647年には「城柵」が設置された日本書紀に記されています。
城柵は大和政権の蝦夷(えみし 古代、東北地方から北海道にかけての地域住民に対する呼称)
対策のための最前線基地です。
690年頃に越国は越前国・越中国・越後国・佐渡国に分割され越後が誕生しました。
当時の越後国は阿賀野川以北から庄内平野の一部まで を範囲としていましたが、
702年に越中国から四郡(頸城・魚沼・古志・蒲原)が分割されて越後国に加えられ、
712年に出羽郡が分立して「出羽国」となり現在の所謂越後の国新潟ができあがりたのです。
佐渡は一度越後国に併合されましたが752年に再度、佐渡国に分けられ、
以後江戸時代の終わりまで佐渡国として存続しました。
その為、佐渡は別文化を越後とは形成し、能登、京都の影響を色濃く受けています。
佐渡は言葉も新潟の平野部とは少し違った方言を形成しています。
江戸時代から明治にかけて新潟は北前船の中継基地として活況をていしました。
岩船、新潟、出雲崎、柏崎、上越、佐渡の小木などの港が寄港地になり、
特に新潟湊は信濃川、阿賀野川の舟運と直結していることにより、
魚沼、長岡、越後平野全域と会津藩、米沢藩の物資の中継基地となりました。
北前船の輸送で、越後各地から江差(えさし)港へ米を移出し、
棒鱈(ぼうだら)、身欠き鰊、塩鮭、数の子など海産加工品を移入しました。
これらは県内各地で消費され、その多くは郷土料理の食材として定着しました。
北海道の産物は新潟の食文化に切っても切り離せないものがあります。
また、北前船により京都や大阪の食文化も影響も強く受けましたが、
味の基本は関東の濃い味が主流です。
新潟の歴史は水害との戦いでもありました。
信濃川、阿賀野川が山々から運び出した土砂は河口を埋め立て
大湿地地帯を形成していきまました。
沼や潟が川と絡み合った沼地が昔の新潟平野です。
現在の弥彦山や角田山は半島であったといいます。
それが長い開墾、干拓により突然に平野に出現する山並に変わったのです。
大正時代に大河津分水が完成すると灌漑事業は画期的に進み、
沼地を現在の肥沃な土壌で形成される大地へと変貌させたのです。
それ以前は舟にのって田植えを作業を行っていたと言います。
現在でも、新潟では大水害が時たま発生しますが、
水の国の宿命とも言えるものです。
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