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北前船の新潟食文化
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(北前船の中継基地として繁栄)
新潟港は古くは新潟湊と言われて北前船の中継基地として栄えました。
江戸時代から明治にかけて北海道の物資と大阪の物資が行き交いました。
信濃川、阿賀野川の水運を利用して会津藩や長岡藩などもコメの輸送基地として
利用していました。
当時は幕府の直轄地です。
北海道からは、昆布・身欠きにしん・数の子・鮭などの海産物が運ばれてきて、
河川を利用して内陸まで輸送され、食の中に取り入れられていきました。
新潟からは主にコメが北海道に輸送されました。
新潟に味には北海道の物産は切り離せません。
今でも北海道の鮭や筋子・いくらは食卓に欠かせません。
にしんや数の子も郷土料理に息づいています。
新潟からの北前船で北海道の松前、江差に出稼ぎや移住者も
多くいました。
新潟から北海道に伝わった食も数多くあり、
食文化に取り入れられています。
お互いに切っても切り離せない深い食の関係があります。
(西からの影響)
新潟はお米のおかげで飢饉もなく比較的ほかの地域に比べたら
食では一般も恵まれていました。
大規模地主も多く、北前船の豪商も栄華を極めました。
新潟湊ではその経済力を反映して、鍋茶屋に代表される料亭文化と花柳界が育ちました。
それは京都の祇園、江戸の新橋の料亭文化とは違った特有うなものがありました。
しかし、京都の料亭の食の基本はしっかり取り入れられていったようです。
新潟の料理の根本にはしっかりした旨みが取り込まれています。
北海道の海産物も贅沢に使えました。
素材の良さもありましたが、新潟にはおかげで美味なるものが根付いたのです。
半世紀前くらいまでは越後平野のちょっとした村や町には料亭が2,3軒は必ずありました。
どの村々も基本的にはお米のおかげで豊かだったのです。
少し豊かな農家の男性も新潟では農閑期には料亭で
酒と料理と芸者遊びを楽しんでいたのです。
その料亭文化が村々まで美味の味を染み込ませていきました。
新潟の味のルーツはここにも影響があったのです。
しかし、基本的な新潟の味付けは関東、東北の影響が強く、
関西風とは程遠いものになってなっています。
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